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持つべきプライドと捨てるべきプライドがある。いいコメントですね。
最後の質問者の方goodjob! そして先生ありがとうございます。疑問に思っていました。とても良い質問でした。
藤堂高虎…興味出てきました。
藤堂高虎の子孫の方が、高虎が豊臣秀吉から褒美でもらった黄金の茶道具を手放してニュースになりましたね
加来先生の説明は〜分かりやすくて〜勉強になりますよ☺
藤堂高虎は加藤清正と共に築城の名人。高虎設計の高石垣はこの男のまっすぐな性分を表していると思う。幕藩体制の影の構築者。大河ドラマの主役になって欲しい人。
三英傑の中でも自筆の書状が少ない徳川家康そんな彼の貴重な自筆書状の一つが病気で倒れた藤堂高虎への見舞いの書状だったりします 高虎がいかに家康に気に入られていたかが分かる
これ今の時代の転職とは違うことも話すべきだよね。戦国時代での転職って普通だから回数が問題じゃないし。そもそも命を賭けてるわけだから、それに値しないとなれば去ることはむしろ当然だからね。7度変えたというのは見かたを変えてみれば「高虎に見合った主人ではなかった」というだけだし忠誠心の問題ではない。いまの仕事は「お金」だけど当時は「命」だからそこははき違えてはいけない。
むっちゃおもろいな、この動画
家康に最も信頼されてた外様の1人。秀長との出会いがなければ猪武者のままで終わっていたかも知れない。
Shogunの虎長はもしかして家康だけでなく高虎からも発想を得ているのかなとふと思いました。
藤堂高虎さんの養子となる丹羽長秀さんの三男、藤堂高吉さんが絡む後継者問題はけっこう面白いよね~豊臣秀吉さんが賤ヶ岳の戦いの前に丹羽家との絆を深める為に弟、秀長さんの養子に迎え入れたんだけど~丹羽長秀さんが亡くなってしまい、お荷物扱いとなり、豊臣秀保さんと入れ替わりに秀長さんの家臣だった藤堂高虎さんの養子となる人で~関ヶ原の合戦後に高虎さんに実子である高次さんが誕生してしまい、嫡男の座を奪われてその後は冷や飯生活に~という波瀾万丈の人生ですから、藤堂高虎さん本人よりもよっぽど大河ドラマ向きだと思いますよね~
江川英龍、村田蔵六、桂小五郎もみたいなぁ~
以前から気になっていた藤堂高虎という武将、面白そうな人物ですね。前回の島津義弘と同じように、是非大河ドラマで描いてほしいです。加来先生が話されたエピソードも興味深いですし、あの徳川家康にそれほど信頼されていたというのもすごいですね。スペシャリストに徹せず、敢えて主君からのいろいろな要求に応えるジェネラリストであろうとした生き方、大河で描き甲斐がありそうです。今回の中西さんの衣装、着物の柄が無いのがかえって、楚々としていてとてもお綺麗でお似合いです。
「嘘つきって言っていいのかな、、、詐欺師みたいな。。」言い直して悪化してるww
今の自民党統一教会と同じやな~
中西さん素晴らしい例えありがとう😊
当時生きていた人達の立場に立って考えると、平家が亡びるなんて誰も考えられなかった時代に頼朝の流罪地なんてどこでもよかったのでしょう。結果論だと思います。
もしかしたら、頼朝ってどっちでどこに流したほうだっけ?くらいの認識のやつに手痛い目に遭わされたのかもしれないのか。面白いな
戦国時代では主君を変えるのは結構当たり前だったからな後の世の価値観で人物を図るのは良くないと思う
清盛からしたら保元平治の乱という戦争に二回とも圧勝して源氏なんか雑魚でしょ程度にしか思ってなかったんだと思うだからこんな子供の命助けたぐらいで勢力が変わることはないと判断したらそれが命取りになるのが源平合戦の面白いところ。
平家は、重盛が清盛より早く亡くなったのが痛かったのでは?
歴史はまさかの連続。(*´・ω・`)b
助命の因縁話といえば、大蔵合戦からの篠原合戦~木曽義仲さんが命の恩人、斉藤実盛さんの首実検をする涙の名場面が一番グッとくるかな~ちなみに、この斎藤実盛さん、通称を長井別当といいまして~戦国時代の美濃の蝮こと道三さんが出世の度に、松波氏→長井氏→斎藤氏と素性を変えていきましたが~長井も、斎藤も、どちらも共に平家物語の有名人、斎藤実盛さんを由来とする氏素姓ですから~主家筋の斎藤氏にとって長井氏とは、血族並みに重要な家人だったのかも?知れませんね~
歴史のifを考えることって大事なんだなと思った。平家の力が強い西国へ流されていたら、鎌倉幕府はなかったかもしれないのか。運のいい頼朝さんだ。この運のよさばかりはどうにもならないなあ。
運も実力のうちとか。
藤堂も裏切者
石田三成は豊臣に最後まで忠義を尽くした忠臣だが、それに比べ藤堂高虎と来たら豊臣に厚遇されながら秀吉がなくなったら簡単に徳川に寝返った恩知らずの裏切り者。
持つべきプライドと捨てるべきプライドがある。いいコメントですね。
最後の質問者の方goodjob! そして先生ありがとうございます。疑問に思っていました。とても良い質問でした。
藤堂高虎…興味出てきました。
藤堂高虎の子孫の方が、
高虎が豊臣秀吉から褒美でもらった
黄金の茶道具を手放してニュースになりましたね
加来先生の
説明は〜分かりやすくて〜勉強に
なりますよ☺
藤堂高虎は加藤清正と共に築城の名人。高虎設計の高石垣はこの男のまっすぐな性分を表していると思う。幕藩体制の影の構築者。大河ドラマの主役になって欲しい人。
三英傑の中でも自筆の書状が少ない徳川家康
そんな彼の貴重な自筆書状の一つが病気で倒れた藤堂高虎への見舞いの書状だったりします
高虎がいかに家康に気に入られていたかが分かる
これ今の時代の転職とは違うことも話すべきだよね。戦国時代での転職って普通だから回数が問題じゃないし。
そもそも命を賭けてるわけだから、それに値しないとなれば去ることはむしろ当然だからね。
7度変えたというのは見かたを変えてみれば「高虎に見合った主人ではなかった」というだけだし忠誠心の問題ではない。
いまの仕事は「お金」だけど当時は「命」だからそこははき違えてはいけない。
むっちゃおもろいな、この動画
家康に最も信頼されてた外様の1人。秀長との出会いがなければ猪武者のままで終わっていたかも知れない。
Shogunの虎長はもしかして家康だけでなく高虎からも発想を得ているのかなとふと思いました。
藤堂高虎さんの養子となる丹羽長秀さんの三男、藤堂高吉さんが絡む後継者問題はけっこう面白いよね~
豊臣秀吉さんが賤ヶ岳の戦いの前に丹羽家との絆を深める為に弟、秀長さんの養子に迎え入れたんだけど~
丹羽長秀さんが亡くなってしまい、お荷物扱いとなり、豊臣秀保さんと入れ替わりに秀長さんの家臣だった藤堂高虎さんの養子となる人で~
関ヶ原の合戦後に高虎さんに実子である高次さんが誕生してしまい、嫡男の座を奪われてその後は冷や飯生活に~
という波瀾万丈の人生ですから、藤堂高虎さん本人よりもよっぽど大河ドラマ向きだと思いますよね~
江川英龍、村田蔵六、桂小五郎もみたいなぁ~
以前から気になっていた藤堂高虎という武将、面白そうな人物ですね。前回の島津義弘と同じように、是非大河ドラマで描いてほしいです。加来先生が話されたエピソードも興味深いですし、あの徳川家康にそれほど信頼されていたというのもすごいですね。スペシャリストに徹せず、敢えて主君からのいろいろな要求に応えるジェネラリストであろうとした生き方、大河で描き甲斐がありそうです。今回の中西さんの衣装、着物の柄が無いのがかえって、楚々としていてとてもお綺麗でお似合いです。
「嘘つきって言っていいのかな、、、詐欺師みたいな。。」言い直して悪化してるww
今の自民党統一教会と同じやな~
中西さん素晴らしい例えありがとう😊
当時生きていた人達の立場に立って考えると、平家が亡びるなんて誰も考えられなかった時代に頼朝の流罪地なんてどこでもよかったのでしょう。結果論だと思います。
もしかしたら、頼朝ってどっちでどこに流したほうだっけ?くらいの認識のやつに手痛い目に遭わされたのかもしれないのか。
面白いな
戦国時代では主君を変えるのは結構当たり前だったからな
後の世の価値観で人物を図るのは良くないと思う
清盛からしたら保元平治の乱という戦争に二回とも圧勝して
源氏なんか雑魚でしょ程度にしか思ってなかったんだと思う
だからこんな子供の命助けたぐらいで勢力が変わることはないと判断したら
それが命取りになるのが源平合戦の面白いところ。
平家は、重盛が清盛より早く亡くなったのが痛かったのでは?
歴史はまさかの連続。(*´・ω・`)b
助命の因縁話といえば、大蔵合戦からの篠原合戦~
木曽義仲さんが命の恩人、斉藤実盛さんの首実検をする涙の名場面が一番グッとくるかな~
ちなみに、この斎藤実盛さん、通称を長井別当といいまして~
戦国時代の美濃の蝮こと道三さんが出世の度に、松波氏→長井氏→斎藤氏と素性を変えていきましたが~
長井も、斎藤も、どちらも共に平家物語の有名人、斎藤実盛さんを由来とする氏素姓ですから~
主家筋の斎藤氏にとって長井氏とは、血族並みに重要な家人だったのかも?知れませんね~
歴史のifを考えることって大事なんだなと思った。平家の力が強い西国へ流されていたら、鎌倉幕府はなかったかもしれないのか。運のいい頼朝さんだ。この運のよさばかりはどうにもならないなあ。
運も実力のうちとか。
藤堂も裏切者
石田三成は豊臣に最後まで忠義を尽くした忠臣だが、それに比べ藤堂高虎と来たら豊臣に厚遇されながら秀吉がなくなったら簡単に徳川に寝返った恩知らずの裏切り者。